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人々を一生懸命貯蓄する世界から、もっと消費をさせる世界へ持っていかなければいけないということである。 この点については、私自身、以前から消費を増やす必要があると言い続けてきたが、実際のところこれまであまり深く掘り下げたことはなかった。

そして、もう一つのマクロは、構造改革によって多くの投資機会が創出されたとしても、はたして昔のような投資比率が本当に復活するのだろうか、企業がどんどん借金をして次々に投資していくようになるのか、という疑問である。 このなかで、ミクロのほうは人々の知恵の出しどころであって、T氏を含む多くの人たちの英知を結集すればたくさんのアイデアが出てくると思われる。
ところが、マクロのほうはどうしても懸念が残る。 もちろん今の借金返済ばかりという状況よりはずいぶん改善されるだろうが、今の貯蓄率と投資比率のレベルギャップはあまりにも大きすぎる。
あれこれいろいろなミクロの投資拡大策を全部やることでその差をかなり縮めることはできても、まだギャップはずいぶん残るのではないかという懸念があるのである。 消費して、どのくらい貯蓄するかというのは、その人たちが育ってきた文化的バックグラウンドが深く関わっていて、その比率を変えるのは非常に難しいからである。
例えばここ数十年のアメリカ人の貯蓄率は大変低くなっている。 それで私がニューヨーク連銀にいた一九八○年代の前半から、米国政府はこの貯蓄率の低さを是正すべく多くの手を打ってきたが、そのなかには「オール・セイバーズ・アカウント」という制度があった。
これは、そこに入れたお金で得られる金利については税金をかけないというものである。 たしか上限二○○○ドル程度の制約はあったが、そういう特典を設けることで少しでもアメリカ人の貯蓄率を上げようと、国家プロジェクトとしてそういうことを始めたのである。

最近の日本でも注目されている四○一Kもそのような流れのなかの一つだった。 それで結果はどうだったかというと、全然だめだったのである。
アメリカの貯蓄率は下がる一方で、今の貯蓄率はほとんどアメリカ史上最低である。 「オール・セイバーズ・アカウント」を行った時に我々が学んだのは、例えばある貯蓄を優遇したら、別のところからお金がシフトするだけだということであった。
優遇税制がないほうからあるほうの口座に資金が移動するだけで、トータルの貯蓄率は全然変わらないということである。 四○一Kも同じで、みんな資金をシフトさせるだけで、貯蓄率全体は少しも上がらなかったのである。
この貯蓄が悪徳だという可能性を理解するには、以前に挙げた例がそのまま使える。 この事実は、いかに人々の貯蓄率を変えることが難しいかということを示している。
アメリカでは貯蓄を増やそうとしてもできなかった。 日本の場合は消費を増やさなければいけないのだが、問題は基本的に同じところにあるわけで、人々の貯蓄に関する考え方、消費に対する考え方を根底から変えていかなければ、結局何も変わらないということなのである。
しかも我々東アジアに住む者は、先祖代々「貯蓄は美徳である」と言われてきた。 韓国、台湾、中国、日本、どこへ行っても貯蓄率は高い。
みんな一生懸命貯金をし、将来に備えようとしている。 だが、貯蓄が美徳なのも時と場合による。
今のようなバランスシート不況下においては、貯蓄は美徳どころか、悪徳なのである。 貯蓄が美徳でありうるのは、その反対側に投資需要がある場合であって、そのような状況の時、経済は極めて順調な発展を遂げ、高度成長が可能になる。
ところが投資需要がない時にひたすら貯蓄をしても、貯蓄されたお金は使われることなく金融機関やダンスのなかで滞留してしまう。 お金が動かなくなり滞留してしまうと、そこから経済全体のデフレスパイラルが始まった。一○○○円の所得がある人が九○○円を使って、一○○円を貯蓄に回したとする。
貯蓄に回った一○○円は今まで誰かに貸して使われていたのだが、その一○○円を借りる人がいなくなってしまうと、そのお金は銀行にゼロ金利で滞留する。 それが今の状況である。

そうなると、次の人の所得は九○○円ということになる。 なぜなら九○○円しかお金が使われていなくて、一○○円は死んでしまっているからである。
九○○円しか所得が発生していないのに、また人々が九割しか消費せず、一割を貯蓄に回したらどうなるか。 消費は八一○円に減って、またここでも貯蓄の九○円が死んでしまう。
そんなふうにどんどん進んでいくと、それは本当に大恐慌シナリオになる。 この悪循環は第1章(三八ページ)で示した通り、人々があまりにも貧乏になって誰一人貯蓄できなくなった時に止まるのである。
そういう世界が、実はいま我々の目の前にある。 今はかろうじて財政でこの悪循環が始まるのを防いでいるが、みんなが貯蓄に励めば励むほど問題はどんどん悪化していくばかりというのが、いま我々が直面している世界なのである。
そうだとしたら「貯蓄は悪徳」であり、何とかして早くこの貯蓄を減らさなければ、いずれ財政が切れた時には、我々は大恐慌の世界に突入することになりかねないのである。 この例が適切かどうかわからないが、「おしん」というNHKの朝の連続テレビドラマがあった(一九八三〜八四年放映)。
私にとってこのドラマは、おしんの子供の頃の話が一番感動的だったが、なかでも記憶に残っているのは、おしんが丁稚奉公に出る時、おしんのおばあちゃんが五○銭銀貨を一枚、孫の手に渡すという場面だった。 おばあちゃんにとってそれは、何十年ものあいだ貧乏のなかで苦労に苦労を重ね、最後に残ったたった一枚の五○銭銀貨だった。
つまり、このおばあちゃんが一生かけて貯め込んだ資産が、その一枚の五○銭銀貨だったのである。 これは見方を変えれば、大恐慌の世界とも言える。
ここで、大恐慌という言葉を使ったが、江戸時代の終わりまでの日本や一昔前の中国や韓国などは、もしかしたら今述べたような世界にあったのではないかと思う。 当時の東アジア社会はほんの一部の人たちを除けば、あまりお金持ちでもなく、投資機会も限られていた。

しかし、その一方でみんな一生懸命貯金しようとした。 しかし、みんな一生懸命貯金しようとするので、かえって大恐慌的な世界にはまり込んで、いつになっても抜け出せなかった可能性があるので懸命貯蓄しようとする。
ところが、投資需要がないところで一生懸命貯蓄しようとするから、かえって景気は縮小均衡になって、最後に残ったのは五○銭銀貨一枚だけだったということになってしまうのである。 それはまさにみんなが貯蓄しようとして、結果として貯蓄がゼロになってしまったという世界である。
そう考えると、あの世界での貯蓄はミクロでは美徳に見えても、マクロでは完全に悪徳だったということになる。 大恐慌というとすぐに一九三○年代のアメリカが引き合いに出されるが、実際は江戸時代の日本は全部そういう世界だったのかもしれない。
それが明治維新以降、投資需要が大きく出てきたために、貯蓄された資金が設備投資にまわり、とんでもない拡大均衡になったわけである。 あるシンクタンクが、一○○年前と比べてどこの国の人の所得が一番増えたかということを調べたら、答えは日本だったそうだ。

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